パウロフレイレ『被抑圧者の教育学』読了。

議論がシンプルなので読みやすく、その分フレイレの熱さが伝わってくる。

「質問すること」について関心があるので読んでみたが、残念ながらそのことについては直接は書かれてはいなかった。それでもちょっと考えてみるとこう言えそうだ。

抑圧者あるいは抑圧的な社会は、

・対話をしない

・疑問を抱いていても質問をさせない

・質問をしてもそれには答えない

・質問する人を劣っている人のように扱う

・そもそも疑問を抱かせない

・こうして考えること自体をやめさせる

という戦略を用いており、これは学校にも浸透している。もし授業において上記のことが当てはまるならそれは抑圧的な授業だということになる(反省……)。

あるいは自分を振り返ってみて、「疑問があっても質問しない」、「そもそも疑問が湧いてこない」、「考えるのもめんどくさい」というような人間なら、抑圧する側に都合のいい人材として良い感じに仕上がっていると言えるかもしれない。

ということは疑問を持ち質問ができる力を獲得することは抑圧に抵抗できる力を獲得することだといえるだろう。

まぁ、問うことには相手を追い詰めたり罠にはめるなどの危ない使い方もあるので、あまり単純に考えてはいけないけど、力を持っているのは確かなので、引き続き質問する力(≒問いを立てる力)が磨けるような授業づくりを工夫していきたい。

 

と、言いつつ次はこれ。

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
 

 研究会の課題図書です。著者の東畑さんにぶつけてみたい質問を考えながら読んでみます(質問は「ぶつける」というメタファーで理解されるものなんですね~)。