質問するのは難しい

昨日は日仏哲学会でした。

春大会は人が少ないことが多いのでちょっと寂しいですね。

 

午前中は若手によるドゥルーズ研究発表の司会を担当。

一つ目の発表では聴講者が少なく、また同じか近しいテーマを扱う研究者がいなかったため、質問が出にくかったので僕が質問する。

発表テーマに僕が疎かったのでどう質問すればいいのか頭をひねったけど、それ以上に難しかったのは司会や先輩として若手の個性や良さを引き出すのにどんなことを質問すればいいのかということと、それを問うことで場がほどけて別の質問を誘発するかということ。結果的にはそれらの要素を十分に満たす質問はできなかったですね……まぁ、質問を受けて彼が自分の考えを開陳する機会は作れたし、僕は知りたいことが聞けたので最低限それで良しとしよう。

 

午後はシンポジウムに参加。

「現場から考える哲学 石巻、身体障害、子どもの貧困、フランス思想」というタイトルで、文献研究が主のこの学会で思い切ったテーマで話すなぁと関心を持って聴講。どの発表もひとつひとつじっくり聴いてみたいと思う内容で、興味深く聴いていたら、質疑応答の時間になって初発の質問が出にくいということで、現場経験のある僕にお鉢が回ってきた。確かにテーマ的にもメンバー的にも僕には応答責任があるだろうが、フランス哲学思想の文献研究を主とする人たちとフィールドに出て哲学する人たちとをつなぐ質問って何なん?と頭が真っ白になってしまった。ここでも結局ベストな質問はできなかったな~。やれやれ。まぁでも、おもしろかったです。

 

今回の学会の経験を通して質問することについて新たに気づけたのは、質問には「応答」と「場に現れ出る」という機能があることかな。しかし、これは質問に備わる機能というよりは質疑応答という場の構成によって質問が帯びる機能か。なんにせよ質問するのは難しいですね。はてさて4月から学生たちにどう教えていけばいいのやら……