最近、あまりこちらに書かないので(塾の宣伝も兼ねてFBにほぼ毎日書くのでこちらに書くことがなくて......)何か書いておきます。

 

この頃、黄金町でお話を伺うことが増えてきつつあるのですが、20年近くアートを通してエリアマネジメントをしてきた方から聞いた話では「アートと街はどこまでいっても平行線で交わることがない。共生することはできなくて、ただ互いに相手を理解しようとし続ける努力だけがある」(要約)そうです。

 

分断から統合へ、排除から包摂へと揺らめきながらも向かっていこうとする世界で、共生できない関係性に気づいてそれを認める姿勢が新鮮でしたが、興味深いのは「共生できないから終わり」ではなく、「共生できないけど、相手を理解しようとし続ける」という運動を大事にしているところ。

 

これを拡大解釈すれば「共生できないからこそ、相手をより深く理解しようという運動が起こるし、その運動によって交流やら出来事やら摩擦やらが生じて、そこに面白いものが混じってくる」といえるかもしれません。共生できなさにポテンシャルを見出すというのか、共生不可能性がもたらす豊饒性というのか。

 

最近の自分の関心ごとのひとつである「私たちなのか他者なのか」問題を考えるのにもしかするとヒントになる考えかもしれないなぁなどと思いつつ。もちろん人は容易に差別する方に傾くし、理解しようとしないほうが楽だし、権力性の問題なんかもあるしで社会的-政治的観点にも常に注意を払わないといけない危なっかしい主題なので単純化しては語れないのだけれど、「共生できないからこそ面白くなる領野もあるのかも......」というひとつの観点として勉強になりました。