留学生に社会包摂を学んでもらうために、福祉のB型作業所でインターンする授業を手伝っている。ところが緊急事態宣言の影響で(仕方ないとはいえ)全然実地経験できず、結局キャンパス内で急ごしらえの代替案の授業をして補っているが、全然手ごたえがない。言語障壁の大きさと文化的背景の違い、その他諸々で、ただ留学生をもてなしているだけのように思えるが、ちゃんと学びを提供できているのだろうか。わかってるような気もするし、浅い理解に留まっているような気もするし。何かほわほわしていて時間ばかり過ぎていっているような気がする(留学生だからより強くそう感じるだけで、実は日本人学生でもこうなのかもしれないが)。こんなふうに思うようになったとは教員臭くなったもんだな。まぁ、そりゃそれで給料もらってるからな。もうすぐ教員じゃなくなりそうではあるが。

 

ガタリ本用に拾い読み。ラッツァラートは好きな書き手で、彼のようには書けないなぁと素養の違いを見せつけられるも、内容には何かしらしっくりこない感がぬぐえない。近いからこそ微細な違いが気に障るという感じか。この違いを論文で活かせればいいのだが。

 

研究会&依頼仕事用に読了。依頼してきた側がのんびりしているというのか、あんまりこの仕事の優先順位が高くないというか……不思議な依頼。がっつりやったら面白い仕事になると思うんだけど、主体があちら側にあるのであっちが動き出さないとこっちも動けない。まぁ気楽に待ちますか。あまり待たされすぎると私の興味がどっかに移っちゃうかも……大丈夫かな。