読了。このセミネールはとても勉強になりました。ガタリが出席していたセミネールで、これに刺激を受けてラカンに論考を送りつけている。それが『精神分析と横断性』所収の最難読論考「記号から記号へ」なのだそうな。ラカンが「機械」について語ることもあって、ワトソンがラカンガタリの機械観の違いに言及するときに参照している。

個人的に関心があるのは、ラカンの「自我」や「エゴ」に対する考え方で、分析において「自我」をどう機能しないようにするかという点に重きを置いているところ。「エゴ」が解体するとどうなるかということにも言及している。『アンチ・オイディプス』やその草稿では「自我の解体」がスキゾ分析のミッションと考えられているので、この辺りの理論上のリンクを掘り起こすことができれば。

 

こっちも読了。精神科病院内外で実際に行われたさまざまな実践について書かれていて、これらがR・D・レインらの反精神医学的実践につながっている。そこそこおもしろかった(けど、翻訳が古く句読点が変な位置にあるので読みづらかったのは残念……)。

 引き続きレインやクーパー、サズ、O・マノーニ、バザーリアあたりを読んでいきたいっす。

 

下の二冊は「時間銀行」のところだけつまみ食い。

ルポ 雇用なしで生きる――スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦

ルポ 雇用なしで生きる――スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦

  • 作者:工藤 律子
  • 発売日: 2016/02/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

頼まれましたので告知。参加費がかかりますが、ご関心のある方はどうぞ。

philopracticejapan.jp=========================

シンポジウム「哲学プラクティスとコミュニティ創生」

登壇者
孫 大輔(日野病院組合日野病院、鳥取大学医学部 地域医療学講座)
豊田 光世(新潟大学
西村 高宏(福井大学

司会
高橋 綾(大阪大学

教育現場での対話実践であるこどものための哲学にとっての重要な要素は、教室を「探求のコミュニティ」に変えることであると言われていることからもわかるように、哲学プラクティスの核となる哲学対話には、あるテーマについて話し合う、考えるだけでなく、対話を通じて何かについて共に探求し取り組む仲間、コミュニティを生み出すという要素が含まれています。

地域に根ざした対話や哲学対話を行う実践者の中には、その活動を通じて、地域コミュニティや当事者コミュニティの結びつきを生み出し、地域保健、環境保全、災害からの復興等のさまざまな地域の活動に意欲的に取り組む仲間を生み出すことを視野にいれ対話を行なっている人もいます。

対話や哲学対話が、あるコミュニティの人々のつながりを生み出し、そのコミュニティを活性化させるには、どのような工夫が必要なのでしょうか。また、それぞれの地域コミュニティや、当事者コミュニティの特徴や文化を踏まえて、そのコミュニティに根ざした哲学対話の活動を作っていくにはどのような知恵が必要なのでしょうか。

今回のシンポジウムでは、地域保健・医療の観点から医療者と市民を巻き込んだ対話活動を行なっている孫大輔さん、佐渡島での環境保全活動に向けての話し合いに哲学対話の考え方を導入している豊田光世さん、東日本大震災後の仙台や東北地域で、哲学カフェをはじめとする対話活動に取り組んでこられた西村高宏さんをお招きし、さまざまな領域、地域で、対話や哲学対話を生かしたコミュニティ創生の試みについてお話を伺い、哲学プラクティスや哲学対話をコミュニティ創生につなげる可能性について考えます。

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「じゃっ夏なんで」かせきさいだぁ