2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

マルディネ

マルディネの大々的なシンポがあるようです。 詳しくはこちら ➡ HP 「現象学の異境的展開」マルディネとは出会い損ねたというか、興味はあったけど順番的に後回しになってしまって、結局読まずにおいてしまってます。 今回も誘っていただいたんですが、引っ…

『ライファーズ』その他

受刑者、そのなかでも終身刑にある人びとの更生プログラムを主題にしたドキュメンタリー。 共生の授業で話題に出たので見てみました。 刑を終えた後にどう社会復帰していくのかは日本でも問題ですね。 現在、日本版を製作中とのこと。最近は映画見るのを控え…

滋賀旅行

琵琶湖大橋 マンホール ラコリーナ 近江八幡 鬼瓦 どうでもいい話ですが、滋賀県は「飛び出し坊や」発祥の地。誕生は1973年6月のことだそうです。

承前:考え中

ドゥルーズのテキストから「法」やら「裁き」やらに関するものを抜き出してみました。 改めて並べてみると結構あるなぁと思いますが、これでもまだ全部ではない。 ただ、たくさんあるとはいえ断片的で、これを主題にドゥルーズが一冊考え尽したということで…

承前:準備⑧

『スピノザ:実践の哲学』、1981年(鈴木雅大訳、平凡社ライブラリー)「第二章 モラルとエチカのちがいについて」 44頁 「かくて〈エチカ〉が、〈モラル〉にとって代わる。道徳的思考がつねに超越的な価値にてらして生のありようを捉えるのに対して、これは…

承前:準備⑦

『批評と臨床』続き「裁きと訣別するために」→ 『批評と臨床』は「法」という主題はほとんど登場せず、「裁き=判断」が前面にせり出してくる。一貫性があると考えるべきか、別の主題だと見なすべきか。 → この論考は断定が多いのが難点。251頁 「ギリシア悲…

承前:準備⑥

『批評と臨床』、1993年(守中高明ほか訳、河出書房新社)「ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ」 ドゥルーズがスピノザの四人の弟子と認めるうちのひとり、ロレンスを扱った論文。 キリスト教を裁きの権力形式として論じている。82‐83頁 「最…

承前:準備⑤

『カフカ』1975年(宇波彰ほか訳、法政大学出版局)← 翻訳が古いため、少し修正してます。面白い本なので新訳が出てほしいです。「訴訟」「流刑地にて」「万里の長城」 → 空虚で内容のない純粋なフォルムとしての法。法の対象は不可知。『マゾッホトサド』で…

承前:準備④

『スピノザと表現の問題』1968年(工藤喜作ほか訳、法政大学出版局)→ 「裁き」が原理的にありえない世界の提示。263頁あたり 自然のなかには善も悪もない。そのため、善の理由と不可分であり、道徳律によって処理し、審判者(juge)として振る舞う神もいない…

承前:準備③

『マゾッホとサド』、1967年(蓮實重彦訳、晶文社)97頁 「マゾヒストの契約の意味するものは、母親のイメージに法の象徴的威力を譲渡することにある。」 法と父の関係から脱却する戦略。母の法への服従によって一人前の男になること???103頁 古典的な法…

承前:準備②

「本能と制度」、1953年 (『哲学の教科書 ドゥルーズ初期』所収、加賀野井秀一訳、河出文庫) 76頁 「制度はつねに、さまざまな手段の組織された一体系として現れてくる。そしてまさしくそこにこそ、制度と法との差異もある。法は、行為の制限だが、制度は…

「裁きと決別するためにドゥルーズは法をどのようなものとして考えたのか」準備①

先日、立教大学で行われたアルトー生誕120周年企画を聴講に行った。アルトーを直接論じることから遠ざかっていたが、聞いているうちに頭が熱くなってきて、自分にまだアルトーへの思いがあるんだなぁと確認することになった。といってもアルトーに間接的に関…